こいのに屋(布忠ホームページの掲示板
布屋忠次郎サイトの掲示板です。このホームページの感想とか書いていただけるとうれしいです。
Reload
投稿者
メール
題名
内容
<OBJECT>タグが利用可能です。
(詳細)
URL
[
ケータイで使う
] [
BBSティッカー
] [
書込み通知
] [
teacup.コミュニティ
] [
検索
]
投稿募集! スレッド一覧
スレッド作成
他のスレッドを探す
[PR]
在宅ワークランキング
収益物件
三重の求人・転職
白ロム
[
teacup.
] [
無料掲示板
] [
プレミアム掲示板
] [
teacup.コミュニティ
] [
ブログ
] [
チャット
]
【From teacup.】この掲示板は投稿が一定期間無いため、各記事中に広告を表示しています。
全115件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
|
《前のページ
|
次のページ》
教えてください。
投稿者:
福田孝
投稿日:2005年 7月25日(月)01時41分9秒
私の両親はクリスチャンです。子供の頃、聖書の話を聞かされて育ったのですが、子供心にひっかかるところがありました。例えば、アダムとイヴを神がおつくりになり、この二人が善悪を知る実を食べてしまい、エデンの園を出て行く事になりました。そこからかなり飛びますが、ノアの時代に多くの罪人を滅ぼし、ノアの家族と様々な動物のみが生き残りました。とあるのですが、なぜ、神はアダムとイヴに罪を悔い改めるチャンスを与えなかったのでしょうか。そのタイミングで二人をうまく道引けばその後、罪深き人が増える事を防ぐ事ができたのにと思っていました。そのタイミングを逃してしまったおかげで、ノアの時代に多くの罪深い人々を滅ぼす事になるのですが、滅ぼされた人々の中には何も解らない多くの子供や神の事を知らない人もいたとおもいます。神が人を創造したばかりに起きた悲劇だと思っているのは私だけでしょうか。全知全能の神がこの結果を何故始めから予想し、アダムとイヴを神の教えに導くか、きっぱり二人を滅ぼしてしまっていたら、今の地球上の悲劇は防げたのでしょうね。これも人に与えられた試練ととらなければならないのでしょうか。解りやすくどなたか教えていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。
みなさん、はじめまして。
投稿者:
北国のこひつじ
投稿日:2005年 6月14日(火)23時46分52秒
みなさん、はじめまして。
北海道の富良野に近い所に住んでいます。
北海道は、今が百花繚乱の季節で、緑も眩しいくらいです。
お邪魔と思いましたが、ちょっと立ち寄らせていただきました。
私は、20代の頃、キリストを信じて、もう60代半ばになりました。
家内は、2000年8月に「多発性骨髄腫」という血液の癌を告知を受けましたが、不思議にまだ生かされています。
病妻かかえ、看病と家事をしながら、昨年の11月頃から「ブログ」に挑戦してみました。
「生きるとは何か」「人生の幸せ」「愛」「死の問題」などについて、真面目に考えるブログです。
どうか、時間のあるとき、ご訪問ください。
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/
解説に感謝します
投稿者:
みゅう
投稿日:2005年 5月21日(土)23時13分5秒
長文の解説に感謝致します。
週に一度だけ小学校の敷地内にあります教会に通い、2ヶ月が過ぎようとして
おります。牧師先生のお話は主に信徒向けの高度な話が多く、基礎がないため
理解しがたいものでした。布忠さまにも今回の質問などお答え頂けようもない
と思っておりましたが、布忠さまに感謝・感謝であります!!
仏教徒の私達にとって身近な親鸞に置き換えてお話下さるあたりが
「さすが!」でありますね・・・。
教会でいつも歌う讃美歌の中に「かしこみたまえ ちち みこ みたまを」と
いう言葉が「三位一体」のことなのですね。
創世記の時点で「神」は存在し、全てを創られ、この世に人間として存在した
時の名前が「イエス」になる。私でも理解できる解説を頂きありがとうござい
ます。布忠さまの解説で、一番最初につまずいておりました疑問が解け、さら
なる前進をして聖書を読んで参りたいと思います。
読んでいくうちに「聖書」っておもしろい・・・と思うようになりました。
物語がある上に、日々の自分も省みる事ができるのです。
子育てには「忍耐」とよくもうしますが、私にとっては日々忘れがちな気持ち
を改めさせてくれるものでもあります。
また疑問が出て参りましたら、その時は宜しくお願い致します。
みゅうさんへ。
投稿者:
管理人
投稿日:2005年 5月21日(土)08時31分51秒
超ビギナーどころか非常に高度な、キリスト教の根幹に関する質問をいただいて少しあわてています。(前々からこのテーマについて書かなければと思っていたのですが)
私自身は、わかっているつもりになっているのですが、うまく説明できるかどうか。
まず聖書は何と言っているかですが、聖書は「神は唯一」と繰り返しています。でも同時に聖書は、「父」(神様)と「子」(イエス様)、さらに「聖霊」という神がいると言っているのです。
この「唯一だけれど、父と子と聖霊の三者」ということを、キリスト教用語で「三位一体(さんみいったい)」と言います。
小泉サンさんが「三位一体の構造改革」などとトンチンカンな誤用をしていますが、三位とは、父なる神と、子なるキリストと、聖霊との三つの位(くらい)のことで、国語辞典で「三位一体」を調べると「キリスト教の根本教義の一つで、三位はすべて本質において同一であり、唯一神はこの三つをもつ実体であるという考え方。」とあります。
「神」と「イエス様」、そして「聖霊」は、ひとつの存在です。けれど、それぞれは独立していて互いに対等な存在なのです。
三位一体は、たとえば「水も氷も水蒸気もH20(エイチ・ツー・オー)」というのとは、似ていますが違います。水であると同時に水蒸気であることはできませんが、ルカ3章21(*1)にはイエスと聖霊と父が同時に登場しています。
三位一体は、たとえば「坂井信生は、夫であり、父親であり、会社員である」というのとも、似ていますが違います。特に学校行事のときなど、「父親である坂井信生」と「会社員である坂井信生」が同時に存在することができればと思うのですが。それにたぶん「会社員である坂井信生」より「父親である坂井信生」「夫である坂井信生」が優先されるので、このみっつは互いに対等というわけではありません。
クリスチャンや牧師が三位一体を説明しているホームページもたくさんあると思いますので、検索してみてください。
三位一体というのは「わかるかどうか」という種類のことではなく「信じるかどうか」という種類のことだと思っています。
少なくとも、とても熱心に聖書と神を研究していたパリサイ人(ファリサイ派)でさえ、イエスと神がひとつであることを「わかる」ことはできませんでした。
ある人たちは、「父」だけが神だと考えています。キリスト教を名乗りながら「キリストは神ではない」と主張する宗教もあります。
けれど、イエスは弟子たちから礼拝されることを受け入れ(*2)、またイエスが祈りをかなえると約束してもいます(*3)。これはイエスが神であるか、または冒涜的な詐欺師か狂人か、どちらかしかありません。(ということは、キリストに対しては「全面的に信用できる」と思うか「全面的に信用しない」と思うかのどちらかしかないということになります。)
パリサイ人たちがなぜあれほどイエスを憎んだかといえば、ねたみもありましたが何より、イエスが神を「父」と呼んだからです。「人間の子は人間」ですから、「神の子は神」です。だからパリサイ人に言わせれば、イエスは人間のくせに自分を神とする冒涜者ですから、神を愛するパリサイ人(愛し方を間違えて戒律第一になっていましたが)としては、神を詐称するイエスをゆるすわけにはいかなかったのです。
彼らの気持ちもわかる気がします。私も、人間がキリストを名乗るような者がいれば怒らないでいることは難しいでしょうから。
そうすると、聖書にはイエス・キリストという神と、イエスが「父」と呼ぶ神の二人がいるのでしょうか。確かにイエスは、神を「父」と呼び、しばしば父に祈りをささげています。同一人物だったら、ただの独り言です。ところがイエスは、神は唯一であるとも言っているのです(*4)。イエスと「父」はそれぞれで存在して、しかし同一の存在として「唯一」の神なのです。
さらに、聖霊はイエスの代わりに私たちのもとに来られる存在ですから(*5)、イエスが神なら聖霊も神です。
だから、唯一の神は、父なる神と、子なる神(キリスト)と、聖霊なる神なのです。つまり1=1+1+1なのです。
三位一体という言葉は聖書には出てきませんが、以上のように聖書の記述の中に「神は三位一体」ということが示されているのです。
ところで親鸞は、自分が神だとも、自分が衆生を救済するとも言いませんでした。「阿弥陀」の「本願」による他力救済を人々に伝えただけです。
一方、イエスは神なのです。祈りをかなえることも、罪をゆるすことも、神にしかできません。
どちらかというと、パウロやペトロ(ペテロ)のほうが、親鸞に近いと思います。彼らは「イエス・キリスト」の「十字架での愛」による他力救済を人々に伝えたわけです。
さて、イエスという名は新約聖書で初めて出てきますが、それよりずっと昔から「子なる神」キリストは存在していました。ずっと昔から存在したキリストという神が、人間となってこの世に来た(*6)時に、イエスと名づけられたのです。
どれくらい昔かというと、神が天地を創造した時にはすでにいました。キリストが天地を創造したと、聖書に書かれています(*7)。(ここにも、「父」とキリストがひとつで、どちらも神であることが示されています)。天地創造のときにはすでに居たということは、はじめから居たということです。
*1 ルカによる福音書3章21-22『イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という(父なる神の)声が、天から聞こえた。』」
*2 マタイによる福音書14章33『舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。』/ルカによる福音書24章52「彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、」
*3 ヨハネによる福音書14章14「わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」
*4 マルコによる福音書12章29『イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。…』
*5 ヨハネによる福音書15章26「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、…」
*6 フィリピの信徒への手紙2章6-7「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、しもべの身分になり、人間と同じ者になられました。」
*7 コロサイの信徒への手紙1章16-17「万物は御子(キリスト)によって、御子のために造られました。御子はすべてのものよりも先におられ、…」
(無題)
投稿者:
みゅう
投稿日:2005年 5月14日(土)23時51分14秒
こんにちは。先日はレスをありがとうございました。
突然ですが質問です。超ビギナーな質問で恐縮ですが・・・
キリスト教における聖書の中の「神」と「イエス様」は別人なのでしょうか?
創世記では、「神は6日間で世界を創った・・・」とありますが、イエスのことは新約聖書で初めて、マリアの懐妊から幼少期までが出てきます。
キリスト教を布教したのがイエスであるなら、「神」は別に存在するのでしょうか?
仮に「神」と「イエス」が別人であるなら、日蓮宗の布教をした日蓮や浄土真宗の親鸞を
信仰しているのと同じなのでしょうか?
けして、神への冒涜で質問をしているのではありません。本当にわからないのです(ToT)
いつもいつも、間抜けな質問で申し訳ありません。
みゅうさん、ようこそ
投稿者:
管理人
投稿日:2005年 4月 8日(金)18時44分11秒
管理人の坂井です。みゅうさん、ようこそいらっしゃいました。
聖書をよく読んでいただけば、たぶん、それが単なる寓話ではないことがわかると思います。
このサイトがお手伝いできるならばうれしいのですが。
更新がとどこおっていますが、病気等ではありません。お気遣いありがとうございます。
プライベートで転居などいろいろあり、まとまった時間がなかなかとれないでいました。
(といっても、時間は作り出すものといいますから、いいわけですが)
できるペースで(しかし怠けないように)がんばっていきますので、よろしくお願いします。
http://www.nunochu.com/
勉強中です
投稿者:
みゅう
投稿日:2005年 4月 6日(水)22時17分13秒
聖書の勉強を始めました。と、言ってもその関連本を読む程度で
寓話的な聖書物語を読んでいるに過ぎません。
このサイトでしっかりと勉強をして参りたいと思います。
ところで、このサイトの更新が2月18日よりアップされて
いらっしゃいませんが如何されましたでしょうか?
ご病気でなければ良いのですが・・・・
また、寄らせて頂きます♪
「癒しと救い」の体験記
投稿者:
あだち
投稿日:2005年 3月20日(日)21時44分13秒
聖 名 讃 美
「勝手書き込み」をお許しください。
■□■□■□■□■□■□■□■□
「病気」とは、分らなかったことが
判るようになる、天の「摂理」です。
「アルコール中毒」 「脳梗塞」
「サラ金地獄」 という罪のDNAを
聖書の「御言」によって打ち砕かれた
者の「証」です。
http://kokoronet.org/message
安達三郎
みみさん、ようこそ
投稿者:
布忠
投稿日:2005年 2月 5日(土)08時17分3秒
こんにちは。当サイト管理人です。
よかったらメールで疑問を送ってください。私で答えられる範囲で答えます。素朴な疑問って、けっこう「誰もが感じている疑問」だったりもするんですよね。
http://www.nunochu.com/
クリスチャンのたまご
投稿者:
みみ
投稿日:2005年 2月 2日(水)20時41分53秒
はじめまして。現在35歳、一児の母です。
20年近く前にバプテスマを受けたものの、その後、不信仰の道のりを。
去年から神の導きによって再び教会へ足を運ぶようになりました。
もっともっと信仰の深まる道を歩みたいと思い、こちらのサイトをみつけました。
でも、素朴な疑問がたくさんあるんです。
クリスチャンの方にはあたりまえの常識かもしれない言葉や行動が、私のような新米クリスチャンには疑問に思うことがあります。
こんな私のような者にわかりやすく教えてくれる場所はないでしょうか・・・?
「求めなさい、そうすれば救われます」きっと私もそのうち・・・と思うのですが、
「求め方がわからない、どうか教えてください。」と祈る毎日です。
以上は、新着順41番目から50番目までの記事です。
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
|
《前のページ
|
次のページ》
/12
新着順
投稿順