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[3] (無題)

投稿者: 管理人 投稿日:2017年 9月10日(日)10時50分1秒 fp7cdbc3fe.stmb202.ap.nuro.jp  通報   返信・引用   編集済

仏陀真理の言葉(第二部)

1恨みの心を持たないこと。

怨みの心によって、人々の目は常に霞んでいる。
道に霧がかかり、夜中車を走らせる時に、危険がある様に。

人は怨みの心を持てば、自然に多くの罪を身にまとう危険がある。
やがてその罪は、その人に付きまとい多くの災いをもたらす。

聡明な人は怨みの心を捨てて、進むがよい。
怨みの心は人々を惑わし、邪の道へとその人を誘い込む導引となる。
怨みの心を捨てた人には、その憂いがない。

怨心によって、悪魔の道を手助けするようなことをしてはならぬ。
多くの人々は常に苦しみ、救いの手を欲している。
木製の杵をもつ三十三天の神々の敬う、インドラ神(帝釈天)は無明の屋根(象)の上に住している。
木陰に集う修行者は、夜の後更に、無明の闇黒の塊を突き破る。

修行者は教えによって善い事をなせ、その者には幸いが訪れるであろう。
井戸をさらう様に、怨心を除き去れ。
やがて澄み渡る水を汲むように、修養に励み、汝は怨心を除き去れ。


火を噴くような怒りが起こったならば、汝はそれを自制せよ。
怒りから怨心が生じ、怨心から心の混乱が生じる。
怒りを除いたものには、その憂いはなく、やがて心に平安が訪れる。
人が手に刺さった棘を抜けば、痛みが引く様に。

怒りを鎮め、努力し精進するならば、やがてその人はニルバーナ(涅槃)に達する。
明知によってささった棘を抜くように、
教えと修行を敢行し、善い行いを為す者には、外道も付け入ることができない。

怒りを自制し、進むものには三世に渡る果報がある。
汝は地獄へ赴くなよ。
自己を守り、煩悩を消却し勤勉と努力を賞賛する修行者に幸いあれ。

愚か者を道ずれにするのならば、きっぱりと一人で行くほうが良い。
修行者は怨みの心を捨てて励み、
施しと誠心を尽くして、道を行け。

愛執の蔓に絡まれることによって、怒りが生じ、
怒りによって、怨心が生じて、人は悪い世界の入り口へと立つ。
邁進する修行者は、愛執の絆を断ち切って進み、
善い行いを為し、悪い行いを為さない様にする。
苦しみの原因を観察して、修行と明知によって、苦しみの消滅を観察する。

我らは実に朋友を得る幸せを褒め称える。
自分より優れたあるいは等しい朋友には親しみ近づくべきである。
この様に、朋友を得られなければ罪過のない生活を楽しんで、犀の角の様に独り進め。
金の細工師が見事に仕上げた二つの輝く黄金の腕輪を一つの腕にはめれば、ぶつかり合う。
それを見て犀の角のように独り進め。

この様に二人で居るならば、我に饒舌といさかいが起こるであろう。
未来にこの恐れがあることを察して、犀の角の様にただ独り進すめ。
実に欲望は色とりどりで甘美であり、心に楽しく、種々の形で心を撹乱する。
欲望の対象にはこの患いのあることを見て、犀の角の様にただ独りすすめ。

教えによって怨みの心が尽きたならば、汝はすみやかに心の修行と誠心に励め。
人は老いに打ち勝つことができずに、独り来て独りこの世を去っていく。
どんな名声も富みも、持っては行けずに屍になった体を親族も顧みる事はない。

悪を犯したものは地獄へと赴く。
修行者はその条理を知って、善を為すことを急げ。
人はサンサーラ(業)によって行き着くべき場所へと行き着く。
善い事を成した者には、この世での果報が与えられ、さらに来世は天へと生まれ変わる。


2悪

まだ悪い報いが熟さないあいだは、悪人でも幸福に遭うことがある。しかし悪い報いが熟したとき、悪人はわざわいにあう。
まだ善の果報が熟しないとき善人でもわざわいに遭うことがある。しかし善の果報が熟したとき、善人は幸福に遭う。
「その報いは私には来ないだろう」とおもって、悪を軽んじるな。水が一滴でも滴り落ちるならば、水瓶でもみたされるのである。愚か者は、水を少しづつでも集めるように悪をつむのならば、やがてその人はわざわいにみたされる。
「その報いは私には来ないだろう」とおもって、善を軽んじるな。水が一滴でも滴り落ちるならば、水瓶でもみたされる。気をつけている人は、水を少しづつでも集めるように善をつむのならば、やがてその人は福徳にみたされる。

同行する仲間が少ないのに、多くの財を運ばねばならない商人が、危険な道を避けるように、また生きたいと願う人が毒をさけるように、人はもろもろの悪を避けよ。
もし手に傷がないならば、その人は手で毒をとり除くこともできるであろう。傷のない人に毒は及ばない。悪をなさない人には悪の及ぶことがない。
穢れの無い人、清くて咎めのない人をそこなうものがいるのならば、そのわざわいは、かえってその浅はかな人にいたる。風に逆らって細かい塵を投げるとその人にもどってくるように。

或る人々は人の胎に宿り、悪を為したものどもは地獄に堕ち、行いの良い者は天におもむき、穢れのない人はまったき安らぎに入る。
大空にいても、大海の中にいても、大海の中にいても、山の中奥深いところに入っても、およそ
世界のどこにいても、悪行から脱がれる場所はない。
大空の中にいても、大海の中にいても、山の中洞窟に入っても、死の脅威の無い場所はない。

人がもし悪いことをしたなら、それを繰り返すな。悪事を心がけるな。悪が積み重なるのは苦しみである。
人がもし善いことしたならば、それを繰り返せ、善い事を心がけよ。善いことが積みあがるのは楽しみである。
善を成すのに急げ、悪から心を退けよ。善を為すのにのろのろしたら、心は悪事を楽しむ。
修行者は瞑想によって、雪解けの、清い流れる水を汲むように、自らの善い心をすくい取って道を進むがよい。
積雪の山道を一人で歩むのは苦しい。しかし道連れがいれば、苦しさが和らぐことがあるように、善を道連れにして雪山を進め。




[2] (無題)

投稿者: 管理人 投稿日:2017年 9月10日(日)10時33分10秒 fp7cdbc3fe.stmb202.ap.nuro.jp  通報   返信・引用   編集済

涅槃般若心経(題名)


全知者で悟った人に礼してたてまつる。
ガンジス川の砂ほどの数限りない仏方は、修行者の真の幸福が有らんと欲し、世の俗心を捨て汝が向かう道を説く。
ガンジス川の砂ほどの数限りない仏方は、修行者を真理へといたらしめんと欲し世の俗心を捨て汝が向かう道を説く。
ガンジス川の砂ほどの数限りない仏方は、その教えによって、恨みを捨て、真理を得て、修行者が真言なる仏道へと向かう道を説く。修行者は時として過ちを犯すことがあれど、最後には完全なる真理に達して、欲を排して道を進むがよい。彼岸へ。汝の進む道よ。仏方の真理の宝章を学ぶことと、道を修めることによって、修行者の仏心が(その身体に)宿る。

シャーリプトラよ。
この世おてい全ての存在するものには実体がないという特性がある。
生じたこともなく、滅したこともなく、穢れたものでもなく、穢れから離れたものでもなく、減るということもなく、増すということもない。

それゆえにシャーリプトラよ。
実体がないといという立場においては、物質的現象もなく、感覚もなく、表象もなく、意志もなく、知恵もなく。目もなく、耳もなく、鼻も無なく、身体もなく、心もなく、形もなく、声もなく、香りもなく、味もなく、触れられる対象もなく、心の対象もない。眼の領域から意識の領域にいたるまでことごとくないのである。(さとりもなければ)迷いも無く、(悟りがなくなるということもなければ)迷いがなくなることも無い。こうして、ついに老いも死も無く、老いも死もなくなるということはないということになるのである。苦しみも苦しみの原因も、苦しみを制することも、苦しみを制する道もない。
知ることも得ることもない。それゆえに得ることが無いから、求道者の知恵の完成に安んじて、人は心を覆われることなく住している。心を覆うものがないから恐れることはなく、顛倒した心を遠く離れて、永遠の平安に入っているのである。

それゆえにシャーリプトラよ。
汝は真言を得てなお生存の領域に存在することなく、また生存の領域に存在しないということも無いのである。傷を負う事も無く、傷を負わないということもなく。重荷を背負うこともなく、重荷を背負わないということも無いのである。

過去、現在、未来の三世にいます目覚めた人々は、すべて知恵の完成に安んじて、この上ない正しいさとりを得られた。
それ故に人は知るべきである。知恵の完成の大いなる真言、大いなるさとり真言。無上の真言、無比の真言は、全ての苦しみを鎮めるものであり、偽りがないから真実であると、その真言は再び知恵の完成のおいて次の様に説かれた。
往けるものよ、往けるものよ。彼岸に往けるものよ。彼岸にまったく往けるものよ。さとりよ、幸いあれ。
ここに知恵の完成の心が終わった。


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